2016年1月22日金曜日

ニュージーランドに行きました 【No.62】

新年明けましておめでとうございます
 今年は閏年で亡父1920年(大正9年)2月29日生まれであったことが思い出されます。オリンピック開催年の年明けの日本は穏やかな天候であったようです。 様です、というのは昨年末12月27日から1月2日まで、初めての暮れの休みの海外旅行としてニュージーランドに行っていたので年明けのお天気が分かりません。今ニュージーランドへは関空からの直行便が無いのでシンガポール乗り継ぎになり、実飛行時間は片道17時間30分の長旅です。搭乗機は憧れのエアバスA380、初乗りです。当初ツアーは3組9人の予定であったそうですが、1組5人のキャンセルが出て急遽2組4人のツアーになっていました。相手のカップルは、お話を聴くと大学医学部の先輩医師(外科系)ご夫妻であることが分かり、しかも私の高校の先輩で内科系研究室の一員であったS医師(故人)と山登りのよき友人であったことから、あつかましくも家族旅行と感じられるようなツアーになりました。先生奥様ありがとうございました。
 12月28日クライストチャーチで入国審査、カミサンが機内で貰ったオレンジを1個リュックに入れていてこれが引っかかり、申告種類の記載に反するとのことで400NZ$の罰金を喰らいました。もともとニュージーランドの植生あるいは動物は特異であった様で、極めて固有種の少ない土地であったようです。マオリそして欧州からの人の侵入によって持ちこまれて現在の動植物叢が形成されており、奇妙なバランスと変化を現在も見せているようです。事ほど“生もの”の持込には過敏になっているためでしょうか、カミサンには手痛い洗礼につながったようです。
 クイーンズタウン、ミルフォードサウンド、クイーンズタウン、アオラキ(マウントクック)、クライストチャーチとマイクロバスで巡りましたが、運転手のDonさん、現地ガイドNさん、添乗員のKさん、それにツアー客4人でゆったりとした車内はご自由にお座りくださいの状態です。疲れを感じなかった一つの理由でしょう。高速道路はありませんが、一般道路を90kmぐらいの速度で飛ばします。ミルフォードへは日帰りなので、400kmぐらいの往復になったでしょうか、快適なスピード感でした(ちなみに私自身が飛ばしやですから)。M先生は医師として盆暮れの休みの海外旅行の大ベテランですから、車の後部座席が快適なお休み空間ともなり、現地ガイドNさんの優しい癖のない語り口が一層心地よいツアーの要因にもなりました。広大な台地、点在する大きな湖、準平原風の地形に少々飽きてきて距離を走ると峻烈な岩山に分け入り、自分の存在が矮小化する多彩で奇妙なニュージーランドでした。岩山の高みには植生は稀有で、U字型に侵食された頑固者が抗する事の出来ない雪氷・水の力、すなわち氷河に屈した山の惨敗の名残。偉大な時間の作り出した景観は、造山と侵食の地球の繰り返す歴史の具現化そのもの。ヨセミテとは違うややワイルドな地形に、退縮していった氷河の残したモレーンがいたるところに存在していて、一層荒れた大地の観を増強していました。運転手のDonさんは元校長先生、スピードは出すけれど、追い抜き、カーブの運転は人柄(キャリヤー)がしのばれる慎重運転で流れる風景を安心してみていられました。
 このような地勢を知り満喫するのは山に分け入り、トレッキングをしなければ! しかし今回はさわりの旅行だったので、唯一アオラキでホテル(Hermitage Hotel)からKea Pointまでのゆっくり2時間トレッキングと、カミサンと1時間Governor’s Bushの探訪でした。Hermitage Hotelに着いた日は天候が悪く、ポンチョを着てのトレッキング、本来なら、「この方向に山が見えるのですが・・想像しておいてください」むなしくカメラを雨にぬらしながら、低く垂れ込めた雲の下に広がるどんよりとした景観を写すのみの初日でした。明日の天気予報では、南極からの南風が吹き込んで雲を消し去ってくれるかもしれないとのNさんの淡い期待に賭けて、旅の中日、Donさんも交えて7人でホテルのバーで一杯飲みました。M先生の奢り!ごちそうさま。結構ニュージーランドのワインが赤白ともに、イケルんですよ。  さて翌朝。旅先早起きの私は5時に目覚めました。窓から見える左方の山は朝日をあびて青空にくっきりと偉容を見せていましたが、マウントクックは未だ雲に包まれて見えません。しかし日の光の作用で空気が動き始めているのが感じ取られました。約1時間が経過して、午前5時58分にマウントクック(標高3724m)が少しずつその姿を現して来ました。ついに6:10全容が窓から眺められる様になりました。そろそろカミサンを起こしましょう。テカポの良き羊飼い教会、プカキ湖のミルキーブルーの湖面に映るマウントクックはそれは見事でした。
 最後の宿泊はクライストチャーチでしたが、地震で崩れた聖堂の哀れな姿は、ガーデンシティと言われた街の現在の姿を象徴するようで、寂しい限りでした。天変地異に積み上げて来た人の努力と歴史はひとたまりも無い。富や栄華の泡沫はどうでも良いけれど、その場所で営まれて来た多くの人々の語らいや交わされた愛さえもが瓦礫と化し、復興のめども立っていない。石造りだけに鳩の巣と成り果ててぽっかりと口を開けているのは、人々の尊厳と慈愛を飲み込む奈落の様にも見えました。人の力を信じましょう。復活!何も元通りでなくても良い。澄んだ空気の中に何時か凛としたガーデンシティが再生して来る事を祈念しましょう。
 お土産物はマヌカハニー、プロポリス入り歯磨き。南緯45度の壮大な地勢の思い出。そこら中で草を食んでいた羊さんの産生するメリノウールと害獣ポッサムの混紡の暖かいベスト。ありがとう、ニュージーランド。

医公庵未翁 記



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