2016年7月20日水曜日

 インバウンドと熊本雑感  【No.64】

 蒸し暑い日が続いています。今までに数日梅雨前線が北上した時に夏空が広がりましたが、今は梅雨らしく蒸し蒸し、湿度が高く気温の高い毎日が続いています。蚊も元気よく飛び回っており、容赦なく水遣り中に刺して来ます。昨年はデング熱の国内発生が無く我が国には定着はしなかったものと思われ、ジカ熱はまだこれから先の話と、ネット服の着用は少しさぼって、蚊のメスに情けをかけている昨今です。
 今年8月ブラジル=リオでオリンピックが開催されますが、それより半年ほど前に小頭症児の有意増多現象がブラジルで報告され、ジカウイルス胎内感染がその原因だと報告されました。ジカ熱ウイルスは1947年にウガンダのZika forest(ジカ森林)のアカゲザルから初めて分離され、近年では2013年にはフランス領ポリネシアで約1万人の感染が報告され、2014年にはチリのイースター島、2015年にはブラジルおよびコロンビアを含む南アメリカ大陸で流行しました。南半球の8月は冬で蚊の活動は低下しているでしょう。ジカウイルスは男性から女性に性行為で感染する(STD)と認識されていますが、最近(7月15日)女性から男性に感染が成立したと認定できる事例がアメリカのCDC(疾病管理予防センター)から報告されました。蚊よりも広く早く世界中に伝搬するのがSTDの特徴ですから今後要注意です。
 世界に拡がると言うと、そうそう、最近我家でアライグマを見かけました。このアライグマによって外で飼っていたヌマエビとメダカが水草とともに根こそぎやられました。初回猫にやられたのかと思っていましたが、どうも2回来訪していたようで、雨宿りしているのを偶然に見かけ真犯人と特定しました。荒らし方が猫よりひどかったので納得です。1970年代後半TVで人気番組となったアライグマラスカル以来国内に野生化したアライグマが増えているのだそうです。その後の再訪があれば神戸市に報告しようと思っているのですが、近くに住んでいる様子はどうもなさそうで、定期的な巡回再訪は今のところありません。
 摂津本山駅南の溝にはイタチが住んでいます。イノシシは六甲山麓では日常見かける動物ですが、ホンド狸は神戸では殆ど見かけません。泉北ニュータウン界隈では事故死の狸をよく見かけました。イタチは昔から居る動物ですが、身体は小さくそのしっぽはふさふさして少し可愛く感じますが、成獣のアライグマはふてぶてしくかわいげがありません。疾病キャリヤにもなり得るし、外来種はインバウンドとしても歓迎したくありませんね。

 未病学会活動の関係から、南阿蘇に在る阿蘇健康ファームランドを東京の仕事仲間と7月9日に訪れました。上空から右手に見える益城町辺りはブルーシートがかなりの部分を覆っておりまだまだの復興を窺わせました。前日8日は熊本市内泊。週日のビジネスホテルの予約はなかなか取れなかったそうで、建築土木関係者が多数宿泊しているようです。しかし馬刺しの熊本は変わっておらず、花畑町馬肉料理むつ五郎では各部位の馬刺し、芥子レンコン、一文字のぐるぐる、天草の魚等に舌鼓を打ちました。カミサンは熊本県菊池の生まれなので、我家では馬刺しに目がありません。年に数回菊池の精肉店から取り寄せています。
 翌朝9日は熊本城を熊本伝統工芸館の駐車場から眺め阿蘇へと向かいました。お城は屋根瓦が無惨です。建物内は激しく雨漏りしているのじゃないかな。中の障子・襖や柱も過酷な状況に曝され続けている様に思います。ブルーシートを架けてあげたいな〜。
 やや渋滞気味の国道57号線(豊後街道)の迂回路県道339号線ミルクロード経由で外輪山を駆け下り熊本市内から約1時間で到着。途中緑の山肌にはワイルドな動物の爪で掻き切った様な崩落があちらこちらに見られ、無惨にむき出された褐色の土が見えていました。阿蘇ファームランドは予想外の被害でした。ファームランドのロケーションは東海大学阿蘇校舎の北東、京大火山研究所のほぼ真北1kmにあり、布田川断層帯の北東端に当ると思われます。敷地内で断層のずれと思われる場所がありました。遠くに阿蘇大橋崩落の原因となった山崩れの場所が見渡され、豊肥線と国道が分断された景色に1年前の5月に訪れた思い出が重なり少し目頭が熱くなりました。豊肥線には大津側少し下った立野付近にはスイッチバックがあります。まだ見つからぬお一方は友人と2台の車で国道を大津から阿蘇に向かっていたそうで、先を走っていた車が通り抜けた後、様子を見て止まったところを山崩れに巻き込まれてしまったようです。東海大学の学生はファームランドで働いていた3人が寮で無くなっており、若さあふれる往時の生き姿が南阿蘇村の人々には忘れられないそうです。ファームランドの従業員に聞くと地震は2回(前震・本震)下からドーンと突き上げられたそうです。道理で益城町以外で見る家屋の多くは壁が残っている割には屋根瓦が落ちており、熊本城もこの初回の突き上げで本丸の屋根が崩れ落ちたのかもしれません。
 飛行場への帰りは南阿蘇村経由で遠回りをして南から飛行場にたどり着きました。その日の午後からは夏の青空が広がり、希望を持って熊本が復興していく事を祈念しました。

医公庵未翁 記



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